超草食男子な彼

彼女が24歳の時派遣社員として配属された情報システム部は、朝から夕方まで皆黙々と作業を続けるような草食男子だらけの部署でした。
彼女はその部署の事務員として雑務を含む総務的な仕事を任されていました。彼女が彼に目を留めたのは、彼の失礼な態度が気になったからです。
彼はいわゆる協力会社の人間で、名札の色も違えばパソコンの種類も違う。仕事内容も総務事務しか経験のない彼女にとってはさっぱりわからないシステム開発業務。
でも、彼女と彼は座席が隣でした。
朝、彼女があいさつをしても彼は返事をしません。
互いに喫煙者である二人は、喫煙所でたまに二人きりになりました。しかし、あいさつを知らんふりする彼。彼女は新参者の礼儀として頭を下げ続けていましたが、彼に対してあまり良い印象はもてませんでした。でも、同じ部署の他の男性社員は彼をべた褒めします。仕事が早くて丁寧、なくてはならない存在だと褒めます。男性社員が話す彼の評判と、自分の目で見た彼の印象が重なることはありませんでした。
彼はいわゆる超ひっこみじあんだったのです。彼女は後で知ることになりますが、彼は毎回超小声でそのあいさつに返事をしていました。
間もなく部署全体で彼女の歓迎会を開いてくれることになりました。彼女はお酒が入ると優しく話しかけてくれる他の男性社員たちと打ち解け、安心しました。
ただ、その歓迎会には隣の席の彼は来ませんでした。
来てもらっても話すことはないだろうし、今まで散々挨拶を無視されてきたいら立ちが消えることもないだろう。彼女はなぜかその飲み会で彼の事ばかり考えていたのでした。
派遣就業から三か月後のある日、隣の席の彼の協力事業が終了し、彼が本社へ帰って行くことを上司から聞かされます。
彼の送別会の幹事を任された彼女は、休憩中にしかめ面でタバコを吸う彼に勇気を振り絞って話しかけてみました。
「あの……今ちょっと話しかけてもいいですか?」
無視されたらどうしようびくびくしながら話しかけると、彼は予想外の笑顔を返してくれました。心臓の近くの動脈がでたらめに脈打つような不思議な感覚に陥る彼女。
彼女が正直に送別会の会場選びで迷っていると告げると、彼はうれしそうに笑いました。
「それって送別会の主役に相談していいの?」
「すみません、でも、主役が好きなお店なら間違いないかなと思って」
彼女はタバコを一口吸ってもみ消しました。なぜか彼にタバコを吸っているところを見られるのが嫌でした。
「じゃあさ、パソコン見ながら一緒に選ぼうか」
「はい、ありがとうございます」
二人は一緒に居酒屋を探しました。彼女はその間中おかしな心臓の鼓動につき合わされ、またそれが彼の耳に届かないようにおかしな緊張を続けるのでした。
「この和食ダイニングっていいね。写真で見ると料理はおいしそうだけど、食べてみてがっかりってこともあるよね」
「あの、下見に行きませんか?」
「下見?」
彼は心底驚いた顔で聞き返してきました。
「いいけど、なんかおかしいね。僕の送別会の下見を、僕がするってのは」
おもしろいと笑う彼の笑い声が心地よく耳に響いて、彼女は自分が恋に堕ちた事を確信します。最初の印象が最悪だった分、彼を知れば知るほど魅力的な男性であることに気が付く彼女。
下見に行った和食ダイニングで、二人はお互いの最初の印象とか、仕事の中身とか、最近ハマってる心理学とか対して面白くもない話をしたのです。
「私ははっきり言ってあまり第一印象は良くなかったんです。だって、挨拶しても返してくれないんですもん」
唇をとがらせてすねたように彼に言うと、彼は「まいったな」と言いながらタバコを指でもてあそびます。
「君みたいにきれいな子を目の前にしたら、どんな男でも萎縮するよ」
彼は端正な顔をくしゃっとつぶして笑いました。それは決してかっこいいという表現からはほど遠いものだったけど、彼女はその笑顔をずっと見ていたいと思いました。
女友達と一緒にいる時のように爆笑することはなかったけど楽しくてしょうがない、そんな時間があっという間に過ぎてしまいます。
二人は携帯番号とメールアドレスを交換して、彼女は終電の待つホームに走ります。
周りは皆似たような表情で目を合わせないようにしている電車の乗客たち。今ここに彼がいたら暗い空間が明るくなるだろうな。彼女がそう思ったその時、彼からメールがきました。
「今日はありがとう。僕も終電間に合ったよ。今君がここにいたらいいのに、って思う」
彼女はお酒で気持ちが高ぶったのか、こんなに人を好きになったのが初めてだったからなのかわからずただ溢れそうになる涙を堪えました。
「今すぐ電車を降りて会いに行きたいです」
そうメールを送りましたが、草食の彼が彼女を家に泊めるのはその一カ月後です。
最悪な第一印象の彼でしたが、今では二人の可愛い息子たちと遊んでくれる、優しいパパです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>